メニュー

校長あいさつ

2019年07月23日
5月号
                        教育とは「引き出すこと」
                                                            校長 辻 啓之 
 授業開始から3週間が過ぎました。子どもたちは、新しい学級、新しい友達、新しい担任との出会いに胸をときめかせ、明るく元気に学校生活に取り組んでいるようです。先日の参観会全体会でもお知らせいたしました、本校の学校経営方針について、4月号に引き続き今月号でもご説明させていただきます。
 静岡大学教育学部同窓会誌で、会長の 杉田 豊氏が、教え育てると書く教育に対して、『教育とは「引き出すこと」である』という興味深い巻頭言を掲載されていましたので引用させていただきます。杉田氏が、上野の国立博物館特別展「運慶」を鑑賞された時の感想だそうです。

 『運慶で思い出す1つに夏目漱石の短編「夢十夜」があります。「第六夜」に、護国寺の山門で大勢の見物人を前に無心に仁王を彫る運慶が描かれています。筆の運びはさすが文豪、運慶の優れた力量を存分に表現しています。
 運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ掘り抜いて、鑿(のみ)の刃を竪(たて)に返すや否や斜(はす)に、上から槌(つち)を打ち下した。堅い木を一と刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。
 漱石はあまりに感心したから独り言のように、よくああ無造作に鑿を使って思うような眉や鼻ができるものだなと言うと、見物人の若い男が、「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
 彫刻とはそんなものか。それなら誰にでもできる事だと思い、急に仁王が彫ってみたくなり、家に戻り裏庭の大きな薪から片っ端に彫ってみるが、どれにも仁王を蔵(かく)しているものはなかった。
 この作品は、漱石が自らの作家活動において、時として苦も無く筆が進むときの心象を運慶に託して表現したのではないかと思うのです。
 翻って、教育とは「引き出すこと」と言われます。児童生徒の持つ宝物をいかに引き出すか、これが私たち教師の成業です。自分が向き合った児童生徒から仁王が出てこなかったとすれば、それは紛れもなく、掘り出すことのできなかった自らの力量によるものと自責の念にかられたものです。教員の皆様には児童生徒の宝物を引き出す精一杯の努力を期待する昨今です。』

 本校の経営方針の中に「主体性は、本来子どもたちが心にもっている、良くなりたい、できるようになりたい、役に立ちたいという前向きな気持ちです。」という文言があります。ですから、本校職員は、子どもたちから主体性が感じられないという時には、自分の指導を見つめ、授業改善に努めます。
 1年生の子どもが雨の日に、朝顔の鉢に水掛をしていた時に、「雨だから水掛はいいよ。」ではなく、「どうして水掛をするの。」と声をかけると、その子は「きれいな水をあげるときれいな花が咲くんだよ。」と答えたそうです。珍しく遅刻してきた生徒に「急げ急げ」ではなく、「何かあったの?」と尋ねると「おばあさんに道を尋ねられ、途中まで案内したら遅くなってしまった。」と明るい表情で答えたそうです。教師の日頃の言動が、子どもたちから宝物を引き出すチャンスを作るのではないかと思います。
 私たちは、保護者の皆様と力を合わせて、子どもたちの豊かな感性や純粋な思いを宝物として引き出し、大切にしながら子どもたちの内にある様々な力を伸ばしていきます。
 
戻る

2019年07月


123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031









今日は・・・

特別日課5時間 自由プール 

アクセス

学習指導要領ウェブページ